08/21/2024

2nd day. Part 2/2 /3

Never lost. Make believe.
忘れられない関係になっていく

Kowloon, Hong Kong.

2 nights 3 days

08/20/2024 – 08/22/2024

Day 2 Part 2/2

8/21(水) 16:30 Peer group mentoring(討論会)/KubeCon, CloudNativeCon, Open Source Summit
18:00 Tux trek(懇親会)/KubeCon, CloudNativeCon, Open Source Summit
20:00 閉会/KubeCon, CloudNativeCon, Open Source Summit
ホテルまでの移動(徒歩・バス・買い出し)
22:00 ホテル着、夕食、執筆
23:00 夜散歩外出
02:00 就寝

2024年8月21日、28度、雨

16:30 Peer group mentoring(討論会)

さて、遊んでばかりいないで会場に戻ろう

旅のときは古着のジーンズに薄汚れたポロシャツ
ヨレヨレな見た目なはずの僕はその後
最新の技術について熟練者から直接レクチャーを受けながら
若者と討論するセッションに参加するはずが
何故か漆黒のスーツに見を包んだ重鎮たちが
まばらにしかいないセミナールームへ閉じ込められて
さすがにここにヨレヨレは場違いでしょうと間違いを指摘して移動したり

セッションではあらかじめ予約時に
メンター役とメンティー役のどちらをやるのか申請している
移動した先で会場入りする際
部屋の中には大きな円卓が3つ
どの円卓に座るのかとかグループに分かれるのかとかロールごとなのかとか
迷惑のないように座るろうとして、みんな立ち往生している
そこで僕はスタッフに質問した
「これってどこに座ったらよろしいでしょうか?」
するとスタッフは
「あなたは何役で申込みました?」
と聞いてきた。 もちろん予約時に申請したロールのことだと思い
「メンティー」
って答えた
すると、なんと奥からお茶のメニューを出してきてくれて
「紅茶と緑茶とそのほか……どれがいいですか?」 とか聞かれたり

その円卓の1つ、オープンソースの開発現場についてレクチャーを受けるグループでは
あまりにも責任が重たい内容で議論が白熱して場が固くなったので、
「やあやあ」
と切り出して
まずは自己紹介から場を和ませるように話題を運んだ
そこで年齢をひとりひとり若者たちが発言していき
僕の番になって実年齢を言うと
「!? 君は30前後じゃなかったのか?」
って円卓の皆様に一斉に振り向かれて
一瞬、世界が停止した
さてこの場合、日本では 「30代後半か40代前半かと思った」 なので、海外ではもうひと回り下がるみたい
もちろんデメリットもあって
通勤電車の中では誰も席を譲ってくれない
このネタは日常なのだ

円卓はある程度討論が一段落したら自由に移動していいとのこと
シャッフルして今度はコミュニティー運営についてレクチャーを受けるグループでは
ジョージア、韓国、アメリカ、中国、などなどインターナショナル
日本はゼロ。あ、僕がいるか。初なのか?
座ろうとするとボスっぽいメンターから 「あんたどこのだ?」
って言われたので正直にこう説明した。
「東京からきました。業務でのインフラは皆様のような立派なキャリアはもっておらず、まだAWSベンダー資格取得程度、それまではただのアプリケーション層のWeb屋だったキャリアですけど」
と前置きをした上で、オープンソースネタなので
「発端は大学時代のSlackwareですけどいまはArchLinuxで20年ほどです。ArchLinuxでは機種やデバイスごとの動作環境レポートを書いてました。今日も持ってきてます」
と言って、僕の改造ThinkPadに仕込んであったLinuxを皆様に披露
「クール」
「素晴らしい」
「問題ない、そこへ座れ」
となって、すぐ円卓の仲間に入れてもらうことに成功した

コミュニティだって立派な組織
維持運営するのは大変なこと
やはり予想通り、技術ではなく
話題はマネージメント論の方へフォーカス
世の中には黙っておいたほうがいい向きのスキルもある
知らないふりをして若者の情熱に身を委ねよう
その後1時間、彼らの真面目で切実な白熱の議論に巻き込まれた

印象的だったのは、熟練メンターの一言
「この世界を愛してしまったら、シンプルに、一生勉強し続けるのが王道なのだ」
僕は激しく同意
そう。知りたいだけなんだ
あたらしいこと。あたらしい世界
そこでは
「いま僕たちがせっせと作業しているフローは、
インフラがアプリケーション層に取り込まれていく過程だよね」
という僕の未来予想図はまだ誰にも伝えていない

18:00 懇親会

その後の懇親会では
たまたま僕が迷い込んだブースの中で
目が合ってそのまま意気投合してしまった
「あんたどっからきた?」
って聞かれたので
「ふん、東京だよ」
って答えると
「スーパー・クール」
と言ってくれたシリコンバレーにある会社のシリコンバレー育ちのお兄さんと
気が抜けたようなバカトークを全開

彼はスマホマニアだと察したのでこの話題
「世界初のスマホをうたう初代iPhoneの発表会、モスコーニ・ウェストに、僕は日本のスマホを持って取材に行ったぜ」
って僕が口火を切ってそのスマホ(シャープ・アドエス)の写真を見せたので
「くそっ、なんてこった。また俺達アメリカ人は、日本人に騙されてるぞ!」
とお約束の返しをしてくれた
それからサンフランシスコの懐かしい共通の話題で軽くインテーク
一服した頃、実は1990年代にもスマホ(パイオニア・液晶ケータイ)は日本にあったという話を振る
すると兄貴は両手をへの字に挙げて
ブッブッブッと口でチープなウーハーを鳴らして見せる
「俺達のパイオニアのイメージってこれ(うるせーウーハーメーカーのイメージ)だぜ? あいつらがスマホを俺達よりも10年以上早く? ……へい、ボス。もうダメだ、俺達は相当騙されてる。いますぐ、日本へ行くんだ」
と後ろでせっかくブースの片付けをしていた社長も巻き込み
日本を旅する計画話で大盛り上がりの2時間

「もうビジネスのことは忘れたよ、マジでおもしろいやつだな」
「アメリカ人におもしろいと冷やかされるとはなんて心外な!」
時間が経つにつれ、これはなんというひどい番組みたいな状態に
でも負けるもんかと
あまりに2人とも話に夢中になりすぎて
酔いだけが回り、食べるのを忘れて会場の食事がなくなってしまう始末
見かねた社長が僕たちにひとつまみの寿司を
それを見てカリフォルニアロールはああだとかとまた爆裂トーク
きっと2人ともカリフォルニア州のことが大好きで
風土があっているんだと思う。ってまとめようとした?
違うよ、僕はそこしか知らないんだ
社会に絶望してたったひとり国を去り
初めて降り立った見知らぬ大陸だったから
The September 11 attacksの翌年のこと

20:00 閉会

楽しい2時間はあっという間に過ぎ
みんな散り散り会場を後にした
日が暮れていく
香港は夜景にも値段がついている
100万ドルの夜が再びやってくる

Googleマップによると
ホテルへの帰り道は
九龍の繁華街をはしごして歩いて帰っても1時間程度
ホテルの近くをタイミング良く通る号線のバス停は
徒歩10分先の繁華街にあった
角にあったマクドナルドでセットを買って
バスに乗り込むことにする
さすがに東京より気温が低いとはいえ
蒸し暑いので日没直後の長距離散歩はパス

21:10 繁華街をはしごするバス路線

せっかくなので繁華街をはしごする
大回りする号線のバスで出発
帰路の窓辺から廃墟の繁華街を眺める
やっぱり連れられている犬の目が気になる
街に木がない花がない
不明な液体やらゴミやらいろんなものが
歩いている人の頭の上にパラパラと降っている

それから、まあこれはよくあることだが
スマホの使い方が全然違う
だが、香港のそれは
僕らからすると若干異質だ
若い女性でも写真を撮る仕草をまず見ない
皆無と言ってもいいくらいだ
ちらっと「写真を撮るなよ」「当局に捕まるなよ」が脳裏をよぎる
それから、スマホ歩きをしていない
まあ、あれはiモードのときから現在のスマホに至るまで
確かに僕らだけが異質な感じがする
通話はスマホを耳に当てるのではなく
スマホを水平に持ちマイクに口を当てて、スピーカーフォンで電話する
もちろんイヤホンをして歩いている人はほとんど見かけない

21:50 忘れられない関係になっていく

ホテルの周辺に戻ると
相変わらず寂れた歌舞伎町のような人種がうようよしている
うようよをかき分けてホテルの大きなガラス戸を閉める

エレベーターを閉めようとすると
まだ小さな娘さんを連れたきれいな20代くらいの若いお母さんが見えたので
「どうぞ」
とエレベーターで一緒になった
このエレベーターの行き先ボタンは、部屋の磁気カードをエレベーターのボタンの下にあるスライド式ホルダーで認識させてロック解除しないと、自分の部屋の階のボタンが反応しない仕組みのやつだ
このスライドさせる速度によってなかなか認識してくれないのが磁気の特徴だ
そんなわけでこのお母さんも
エレベーターのボタンを押せないでエレベーターが途中で止ってしまったので
「何階ですか? お手伝いできることはありますか?」
とお声がけさせていただき
セキュリティの通し方のお手伝いをしてたら
「香港人ではなさそうですが、どこから来られた方ですか?
中国? 韓国? いやもしかして、まさかこの感じは……日本?」
と聞かれたので、お母さんの心臓に悪いかも……と思いつつ
「そのもしかしての日本人です、東京から来ました」
って答えた
すると、お母さんの表情が急に軟化していくのが手に取るように伝わってきた
「ようこそ、お越しくださいました」
と何かを懇願されているかのようなメッセージを頂いた
おそらく2020年の当局の動きがあったからだろう
さすがにそれは僕に背負える荷物ではない
「僕では意味がないかもしれませんが、香港・九龍はいつも僕の心の中にいます」
という気持ちをお伝えさせていただいた

その後うまく宿泊階にご案内できたとき、
お母さんと娘さんは、まるで僕が東京から来た俳優かのように
扉が閉まるまでずっと僕に大きく手を振ってくれた
幸せそうな自然な表情が何よりのご褒美だったが
それは家族を持たない僕には恐縮するほどもったいないことなので
どうかお二人にとってその表情が未来永劫続きますように

部屋に戻り、そういえば似たような経験があったと思って
15年前の香港の旅行記録を開き
心当たりのある節を読み返した
当時は以下のように記してあった

香港島の2階建て路面電車の車内
都会はクラクションや罵声が飛び交う夕方の賑やかな大ラッシュ・大渋滞
香港ではまず見かけない光景だったのだが
傍にお年寄りが立っているのにもかかわらず誰も席を譲らない
堪りかねて僕は立ち上がり
老婆に席を譲ると
周囲が英語じゃない地元の言葉でどよめいた
意味はわからないが
僕に向けられた緩んだ表情と目線から察するに
たいそう歓迎されながら
どちらかというと驚いておられるようすだった

僕にはそれくらいのことしかできないのだけど
そうやって僕たちは
忘れられない関係になっていくのだと思う

マクドナルドを口に挟みながら
予想通り大量になった今日の執筆を1時間ほどで終える
実は会場の暇な時間に書き留めておいたので
だって、遊びに出たいじゃん?

23:00 名残惜しい夜

最後の深夜、ホテル周辺に広がる
名残惜しい旧九龍城砦の街を
日付が変わっても散歩し続けた

92924 "Day 2 2/2
2024-08-21
Hong Kong
Never lost. Make believe.
忘れられない関係になっていく"